表現者

先週の金曜、無事にカナダから帰国した。引率していった学生達はそのまま残って1ヶ月の英語研修を受ける。僕は連れて行っておいてきたというわけだ。日曜には専攻科生の研修受講者達も1週間遅れて出発したので、その手伝いで成田に行ってきた。

ところでカナダに出発する前日、東京の駒場で一般の方に向けて相対性理論の講義を行った。一般向けの相対性理論講座というと特殊相対論に限って「時間の遅れ」や,世界一有名な方程式と呼ばれる「(エネルギー) = (質量)×(光速の2乗)」について説明する講座が多いのだが,今回は一般相対論を取り上げることにした。

一般相対論は重力を取り扱うための枠組みである。ローレンツ変換を使って代数的な取り扱いが出来る特殊相対論に比べ,一般相対論は微分幾何学,中でもリーマン幾何学という高度な数学的道具を必要とする。そのため非専門家向けの一般相対論レクチャーというのはあまり見かけないのだが,ブラックホールや膨張宇宙といった興味深い対象は一般相対論に基づくアインシュタイン方程式の解であり,観測事実以上のことを言おうとするならどうしても一般相対論は避けて通れない。

そんなわけでこれは僕に取っても挑戦だったのだが,微分積分やベクトルといった理系には当たり前の数学も一切前提とせずにブラックホール解がどうやって導かれるかを講義することにした。さすがに1回の講座でそれをやり切るのは無理なので,今回は一般相対論のベースとなっている「哲学」,つまりは動機や問題意識と結局何がしたいのかについて講義することにした。

結果は自分で言うのもなんだが,よい講義になったと思う。受講して下さった方達は文系・理系が半々くらいだったが,かなり楽しんでもらえたようだ。爆笑も取れたし,最後まで集中して聞いて下さったのがよくわかった。こういう僕の講義は笑い話からジーンとくる話までとにかく激しく行ったり来たりする。時には物理を大したことなんかやっちゃいないとこき下ろし,また時にはある物理の理論,いやその背後にある人間ドラマがいかに凄いかを語る。

前から何となく思っていたのだが、僕は「講談師」のような講義をしているのかもしれない。身振り手振りを加え、だんだんと話を盛り上げていってさあ主人公の登場だと言いたい衝動に何度も駆られている。

僕は楽器ができないし,絵画や彫刻,書もさっぱりだめだ。練習もしていないからダメだという資格すらないのかもしれないが,喋りで表現することはできる。出来れば本当はさらに,演じてみたい。理解できれば語れる。それを演じるという形で表現してみたい。

今回受講して下さっていた中のバイオリニストの方がいらして,講義の後に僕のすぐ目の前で演奏して下さった。もうそれはそれは何ともいいようのない高揚感を感じた。表現する側,それを受け止める側が一体となってライブにしかないものを作り出す。やっぱりそこなんだ。また一歩,前に進んだような気する。