リンゴの匂いの記憶

12月の半ばになったということよりも,最低気温が氷点下になる日がやってくると,冬になったなあと思う。僕は長野市善光寺の近くの生まれだが,ここ前橋に比べると長野はだいぶ寒い。前橋も上州名物からっ風はきついが,長野のようにジッとしていると痛さを感じるような寒さはない。まあ,どっちがいいかと言われると,とにかく寒いのは苦手なのであまり変わりない。冬は切ない。

もっと切ないのは秋だ。僕の実家は長野で果樹園をやっている。果樹園といっても屋号に「果樹園」と付くだけで,栽培をしているわけではなく,リンゴを中心とした,長野特産の果実や野菜を販売している。リンゴがメインの果物屋さんに近い感じだろうか。

今から30年ほど前,僕が子供の頃は,契約している農家の人がやっている畑でリンゴ狩りもやっていた。うちの実家の店は往生地というところにあって,その頃は秋のシーズンともなるとタクシーや大型バスが何台もやってきて,観光客で賑わっていた。

その時期になると,昼間はひっきりなしに来るお客さんで忙しく,夜は贈答ら何やらでリンゴの荷造りに忙しいといった具合で,両親とも夜遅くまで帰って来られないのが普通だった。近くに住んでいた叔母や祖母も手伝いに行くことがよくあり,その間叔母の家でいとこと遊んで過ごした。

親が忙しくてほとんど家にいなかったのは秋の2,3ヶ月の話で,他のシーズンにそういうことはなかったのだが,それだけに僕にとって秋とは親がいなくて心細い,嫌なシーズンだった。リンゴの匂いはそれを思い出させるので,今でもあの匂いはちょっと苦手だ。特に寒い日にふっとリンゴの匂いを嗅ぐと,子供の頃味わったあの寂しさが蘇ってくる。たまに夜の市場に連れて行かれたときは実はもっと嫌で,シンという寒さや市場の大人たちに囲まれたときの威圧感,そして居場所のない感じ,そこにリンゴの匂いがしてくると,このままここに置き去りにされてしまったらどうしようという妙な不安を感じたものだ。40歳になった今でもこういう思い出は消えないものなんだなとしみじみ思う。