思えば

昨日は松岡正剛事務所マネージャーの和泉佳奈子さんがプロデュースするイベント「そ乃香」vol.5に行ってきた。今回のトークゲストは日本を代表する鳶職人・多湖弘明さん。東京スカイツリーの建設に携わった鳶職人のチームを率い,日本で初めて鳶の世界を本にした方だった。見掛けがおしゃれで爽やか,大阪生まれ大阪育ちということでバリバリの関西弁でトークもうまく,「鳶」とか「職人」という言葉のイメージとは全然違う方だった。異能の人がここにもいたか,と嬉しくなった。

多湖さんはまだ20代の頃,ICレコーダーをポケットに入れ,自分が仕事中どんなことを言っているのかを録音し,夜にそれを聞き直して「こんな言い方せんでもええのになあ」とか「何をそんなに感情的になってんねん」などと,自分をトレースしてフィードバックしていたという。それによって新しい自分を積極的に手に入れにいき,世界の見え方を変えようとしたのだそうだ。本を出したいと思った時は,それまでほとんど勉強をしたことがなかったので,本を千冊読んでその読書ノートをつけたという。何て男前なんだ。聞いていて「胸が空くような感じ」というか,熱くてそれでいて気持ちのいい風が通り抜けていったような感じがした。

こういった熱気に触れることは本当に必要だ。僕が学生に「とにかく実際に見に行ってこい」というのも実体験に基づくものだが,見て,会って,話をしなければ何も始まらない。最近「事実は小説より奇なり,どころか事実は想像より絶なり,だ」というフレーズをよく使う。人間が凄まじい想像力を持っていることは間違いない。それは行ったことのない宇宙の果てや,見ることのできない宇宙の始まりの真相に肉薄するものであり,そういった世界は時に体感を伴えないにも関わらず「理解」出来てしまう。人間は何てすごいんだと思うが,そんなとんでもない力を持つ人間の想像力すら超える,しかも圧倒的に凌駕するのが事実だと思うのだ。

僕らがこの世界に存在しているのは単なる偶然であり,揺らぎの産物である。自然の気まぐれである。その気まぐれによって与えられた命で,あがいているのが僕らである。だがそのあがきは「血と肉」のような具現化されたものを持ち合わせているものにしか出来ないのであり,だからそうしたあがきはどこまでも尊い。尊すぎるから,生きることに意味を見出したくなるし,生きていることを運命や必然だと思いたくなる。だが,意味がなければ人との出会いに価値はないのか?必然でなければ,生きる価値がないのか?この世は全て偶然であり,それに意味を見出したくなるのは単なる人間の本能に過ぎないと理解することは諦観ではない。むしろ全てを肯定し,受け入れる覚悟の為せる業である。下らないこと,嫌なこと,反吐が出るようなこと,思うに任せないこと,触るたびに血が出て傷つけられるようなことが山ほどあるが,それでもこの世は生きるに値する。この言葉を一生「ほざき」続けよう,そう思った。