忍耐力ではなかった

学生から学ぶことは本当に多い。

今日は卒業生が二人、研究室を訪ねてきてくれた。ひとりは数学、もうひとりは物理の道へ進んだ学生である。その二人と話していて、ある話題が持ち上がった。

それは、学生の中にはどんな難解な教科書であってもとにかく先へ先へ読み進めていけるやつらが何人かいるということだ。それだけなら頭のいい学生がたまにいるというだけのことなのだが、僕が前から気になっていたのは、理解力があるとか、知識が豊富だとかいうわけではなく、わかっていないのにどんどん先へ読み進めていけるやつがいるということなのだ。

僕はわからない個所があるとどうしてもそこで立ち止まってしまい、解決するまでなかなか先へいけないタイプなので、前からそういう学生を感心して見ていた。もちろん僕も難解な本を読むときに、とりあえず最後までパラパラとめくってしまって、ゴールがわかってからもう一度読み直すということはよくやる。全体像を俯瞰しておいた方が理解しやすいのは当たり前だからだ。しかし僕にはこれはとにかくきつい。理解せずに先に進むことが苦痛というか、罪悪感のようなものを感じるのだ。

だから今日来た学生に「よくあんな風に先まで読めるもんやなあ。お前らの忍耐力に感心するわ」と言ったら学生が「いや先生、忍耐力じゃないですよ。ただ単に、まあこの程度の理解でいいやっていういい加減な気持ちで読んでるだけですよ」という答えが返ってきたのだ。

これは目からうろこだった。苦痛に耐えながら「何とかして理解せねば」ではなく、「まあ、こんなもんでしょ」と自分をいい意味で甘やかすこと、これが大事だったのか。「もちろん、あまりにも理解できない箇所が多すぎる文献にあたると、さすがに不安になりますよ」とも言ってはいたが、少なくとも眉間に皺を寄せたまま格闘するよりも、飄々と通り過ぎてしまう方がよいだろう。そういえば「本を読んでいてメモを取りたくなっても、初読の時にはそれをやると時間がかかりすぎるから2回目以降にした方がよい。もっと言うと、1冊の本の内容をまとめるより、類書を3、4冊読んだ方がいい」とどこかに書いてあった。この方法はスピードを重視した勉強をしたいときに時々実践していたのだが、ここに「自分を甘やかせる余裕」も加えたらなおよい方法になりそうだ。

訪ねて来てくれた学生に感謝。